松下幸之助氏の名言
みなさんこんにちは
ここ最近いろいろありまして、2週間ほどお休みをしておりました
関係各所のみなさまにご迷惑をおかけしてことをここでお詫び申し上げます
さて、気が付けば桜の季節も終わり、緑が多くなってきていますね
そこで、心機一転今年から自転車をはじめました
先日納車となり、米沢から高畠までの自転車道路を往復で45キロほど走ってきました
(証拠写真)
高畠の安久津八幡神社の先にある蛭沢湖まででしたが、気持ちよかったです
ただ、お尻が痛くてつらかったです
カミさんのほうがひどかったようで、男はついてるからいいけど女はないから直に痛いのだとかなんとか…(汗)
天気も良くて気分転換には最高でした
週末晴れの日は走ろうかと思います。見かけたら声をかけてください
さて、前回まで改正税法の話をしていましたが、どうしても今回はこのお話をしたかったので、予定を変更して、松下幸之助氏のお話しをしたいと思います。
先日ヤフーニュースで取り上げられていたものですが、すごく感銘をうけたのでご紹介いたします。
もしかしたら、自分がいろいろあったために感じているのかもしれませんが、それでもこのお話はすごく前向きになれる記事でした。
「不偶」を生かして道をひらいた松下幸之助
松下幸之助は9歳のとき、家の経済的事情から大阪の火鉢店に奉公に出るため、尋常小学校の4年生で中途退学する。
当時の尋常小学校は4年制のため卒業まであと一息だった。
二つめの奉公先である自転車店の向かいに住む同じ年ごろの“ぼっちゃん”の金ボタンの制服姿を目の当たりにして、学校に通いたくても通えない己の境遇を認識する。
「そのうらやましさは、言うに言えないほどだったように思います。そのたびに、わたしは、われとわが身をしかり、慰めて、“身分が違うのだ。望んでもかなわないことだ。あきらめなさい”と、心のなかで言い、手を切るような冷たい水でぞうきんをしぼったものでした」(『若さに贈る』)
少年松下は、冬の早朝の水の冷たさで手を真っ赤にはらしながら、商売の修業を続ける以外に選択肢がないことを悟ったのである。
松下の不遇は貧しくて学校に通えないことだけではなかった。
家族という精神的な支えも失っていく。
10代のころまでに兄姉と両親が相次いでこの世を去り、ついに26歳のとき10人いた家族は末子の松下一人だけとなった。
松下自身も、若くして結核の初期の病を患うなど病弱で、死の不安に直面する。
そのうえ、船から海に落ちたり、あわや電車にひかれそうになったりと、一歩間違えれば命を失うような事故もいくつか経験した。
しかし松下は後年、そんな不遇な生い立ちにもかかわらず、自分の成功は「運が強かったからだ」と述べる。
努力や苦労の積み重ねではないのだ。
自分に運があると思ったきっかけは上述の事故である。
何度か大きな事故に遭っても「死なない」自分に気づいたことだった。
お金持ちで高学歴で健康であっても、一瞬の事故で命を失う人もいる。
けれども自分は死なない。
なんて強運の持ち主なんだと。
自分には、人知を超えた大きな力が働いているのだと。
以来、苦難に直面しても、心が動揺しなくなった。
信念を持って力強く前に進めるようになった。
すると、自分の歩むべき道が次第にひらけてきたという。
そして、不遇と思いこんでいた生い立ちも、じつは前向きにとらえるべき運命だったのだと理解したのである。
「家が貧しかったために、丁稚奉公に出されたけれど、そのおかげで幼いうちから商人としてのしつけを受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。
生来体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。
学歴がなかったので、常に人に教えを請うことができた。
あるいは何度かの九死に一生を得た経験を通じて、自分の強運を信じることができた。
こういうように、自分に与えられた運命をいわば積極的に受けとめ、それを知らず識ら
ず前向きに生かしてきたからこそ、そこに一つの道がひらけてきたとも考えられます」(『人生心得帖』)
もし金ボタンの制服を着て通学していたら、商売も身につかなかったし、人に教えを請う謙虚さも持てなかった。
しかし、身分の違いから学校に通うという夢はあきらめ、商売人になるという運命を受けとめてきたからこそ、将来の成功へとつながったのである。
「私たちの一生は、人それぞれに異なった境遇の上に成り立っています。そしてその人生には、予知できないさまざまなことが起こってくる。それが私たちにとって好ましいことばかりでないのは言うまでもありません。そういう人生を送るにあたって大事なのは、やはり一方で自分が置かれた境遇なり起こってくる事態を一つの運命として冷静に受けとめつつ、他方でその運命を生かすべく人事を尽くすこと」(『PHP』昭和56年11月号)
今の自分の境遇に不本意な人は多いだろう。
もっと華々しい人生とか、あるいは平穏な生活を送りたいと思うかもしれない。
しかし松下のように、まずは置かれている境遇を自分の運命として受けとめてみてはどうだろうか。
そこからまた違った自分の姿や将来像が見えてくるはずだ。
この話のすごいと思えるところは、あの偉大な松下幸之助氏が、体が弱いから人に頼り、頭が悪いから人に教えを乞うというところです。
素直で決して自分を大きく見せない姿勢というものが感じられます。
そしてそれは、自分の境遇を悲観せず受け止め、前を向き続けたからこそできるものだと感じました。
自分も松下幸之助氏ほどの不遇を味わったわけではありませんが、それなりにいろいろなことがありました。
正直言えば今が一番今までで自分の境遇に不本意と感じています。
しかし、これは『運命』であり、『必然』であったこと。
そして、神様(以前のブログで言っている神様です)はこれを自分が乗り越えられるものだと思い、試練として与えてくださったものだと考えています。
そして改めて、自分は周りから生かされていることを実感し、その恩返しとして自分が経験したことを伝え、仕事でお返ししようと思います。
ちょっと今までとは違う方向から考えさせられたため、このような文章となってしまいました。
次回からは、また改正税法のお話しをさせていただきたいと思います。
それではまた!
みなさん神様って信じますか?
みなさんこんにちは
私事ですが、3月31日をもって私の父が経営していた旅館が閉店いたしました
建物の老朽化が閉店の理由なのですが、いざ閉店となると寂しいものです
ちなみに、名前は『宝家旅館』といいまして、私が設立した『トレゾア㈱』は、フランス語で〝Tresor″『宝』をもじった名前です
旅館はなくなっても、『宝(トレゾア)』は残したいと思った次第であります。(この理由を両親に話をしたら泣かれました(´;ω;`)
さて今回のタイトルは決して何かの宗教の勧誘ではありませんよ(笑)
私が税理士試験を受けたとき、前の職場でいろいろ経験したときなど、特に困難な局面に当たったときなどに感じたことです。
神様といっても、ブッタやキリストなどの宗教の神様を指しているわけではなく、なんというか広い意味での神様です。
私はいままで、『これはダメかも』と思ったことがあったときに、なんとか紙一重で解決してきました。
その事情自体は、自分の怠慢やミスが原因ではあるのですが、奇跡的に大事にならずにすんでいます。
その時のことを思い返してみても、どう考えても偶然にしてはうまくいっていると感じます。
物事がうまくいったときも感じたとこがあります。
何が言いたいのかといいますと、本質的なところが間違っていないと物事はうまくいき、そして、人が見ていないところでもしっかりとした気持ちでことをあたっていると、ちゃんと結果が返ってくるという事です。
私は、トラブルが発生したとき、今までの自分がしてきたことの反省及びこれからについてよく考えます。
このとき私は、『神様が今までの行いについて反省をさせるために、このことが起きたのだな』と考えるようにしています。
そして、2度と同じ過ちを犯さないために自分の胸に深く刻み、トラブルの解決に全力を注ぎます。
すると、そのトラブルはそれ以上大きなことにならずに、解決していきました。
きっとこのときにあいまいな対応をすればもっと大きなことになっていたのだと思います。
『世の中は思うようにいかない』と嘆かれる人がいますが、私はそうは思っていません。
むしろ『世の中は本当にうまくできているな』と思っています。
悪いことや人を陥れようとしていると必ずその人やその人の周りにおいて悪いことがおきますし、人のためと心から思ってことに当たっている人は幸せな結末が訪れています。
いままで仕事上いろいろな方をみてきましたが、間違いないです。
実際、自分が少し傲慢な態度をとったときにこそ、うまくいかないことが続きます。
それでもきっちりと反省し、心を入れ替えると、トラブルは解消し、物事もうまく回り始めます。
それは、『因果応報』といいますか、やっぱり神様が天でみていて、物事をコントロールしているのかなぁと感じます。
あまり物事がうまくいっていないと感じたら、自分の行いを見つめなおしてみてください。
きっと原因があり、そのことをよく反省すると物事はうまくいきだします。
それではまた
失敗をおそれるな!成功は失敗の先にある!
みなさんこんにちは、確定申告時期がようやく終わりほっと一息ついている長澤です
1年目という事もあり、すべてのお客様が新規登録からとなりました
勤めていた時は毎年行う申告が8割、新規が2割程度でしたので、こんなに新規登録をしたのは初めてでした
「残業をしないでするぞ!」と息巻いていたのですが、結局結構な残業を行いました
来年はもう少し効率を上げてしていきたいと思います
今回は、失敗・成功とは何かをお話ししたいと思います。
お客様とお話をするときに「なかなか思ったように若い社員が育たない」「すぐにやめてしまう」という事をよく聞きます。
実際に私も以前勤めていた会社で管理職をしていた時に感じていました。
「今の若い者は」という言葉がありますが、正直私も使いたくなる時がありました。(うーん。使っていたかも…。少なくとも思ったことが多々ありましたね。)
「今の若い者は」というフレーズは古代エジプト時代から、日本では平安時代の清少納言が言っていたというのですから、時代は繰り返されるものです。
ただ、今の若い年代は、情報があふれており、何かわからないことや、してみたいことをインターネットで検索すれば、すぐにヒットしたり、体験談があったりと、「やってみなくても、やった気持ちになる」状態なのではないかと思います。
だから、情報では決してわからない『経験』というものが欠如しているのではないかと思うのです。
この『経験』とは私は『失敗』だと思っています。
いまも私は『失敗』の繰り返しです。ですが、『失敗』しないと、何が悪かったのかを心の底から反省することはありません。
そして、『成功』は『失敗』の先にあります。
『失敗は成功のもと』と言いますが、これは非常に的を得た言い方だと思います。
成功者として取り上げられている偉人たちは、間違いなく『挫折』や『苦悩』『失敗』をしています。
そこから這い上がろうとする強い意志が最終的に成功者となっていくのだと思います。
『失敗』はつらいです。苦しいです。
あきらめたい気持ちも出てきます。
ですが、ここからのつぎの行動が、自身の将来が決まっていきます。
あきらめずに、反省し、正面から問題を解決する
原因をきちんと分析し、同じ失敗をしないように意識を高める
ほとんどの『失敗』は取り返せるものです。
気を付けなければならないのは、同じ間違いを犯さないようにすることです。
大きな事故や失敗は必ず前兆があります。(災害などは除きますが…)それは、些細な失敗や見落としです。
その時に見直しをしていればほとんど大きな失敗は回避できます。
そして、『成功』が近づきます。
『成功』すれば、楽しくなってもっと頑張ろうとします。
そうすることで、『失敗』を恐れずに前に進める気持ちが持てるようになります。
この良いスパイラルになると本当に物事がうまく回りだします。
本当に「つらかった時がなんだったんだろう」と思えるくらいです。
まあ、あまりその状態に酔っていると、大きな落とし穴があるので注意が必要ですが、(私はいつもこの落とし穴に落ちて天国から地獄へ落されています…)ぜひ、今の若い方には、仕事でうまくいったときの達成感を味わってもらいたいと思います。(仕事以外ではあまり意味がありません)
そうすれば、いまの仕事が楽しくなり、多くの『経験』を積んで『成功』し、楽しく仕事ができると思います。
それではまた!
壁を乗り越える
みなさんこんにちは
先日、猫の『ごま』の具合が悪かったので、病院に行くことを決心しました
当日、『ごま』をなだめて、『おとなしく入るのだよ』と首を捕まえてカゴに入れようとしたら、急に暴れだし、おしっこはソファにひっかけ、私の左掌に深いひっかき傷を負わすという事件がありました
それ以来、もう一匹の『れん』と喧嘩ばかりしている『ごま』です
うーんさすが猫・・・何考えているかわかりません
さて今回は、先日思うところがあり、カミさんと昔話をしたときに、思い出したことがあったので、そのことをお話ししたいと思います。
試験勉強をしていたころ、さまざまな人と出会いがありました。
その中には、『今年はちょっと難しいから、来年受かるためにいま勉強している』とか、『来年から本格的に勉強しようと思う。』という人(以下、Aさんとします)がいました。
自分はその時にその人に聞いた時があります。
私 『どうして、今年やらないの』
A 『今年これから頑張っても無理だから』
私 『やってみなきゃわからなくない?』
A 『今年は仕事が忙しくてなかなか時間が取れなかったら、次はその反省を生かして勉強するからいいよ。』
私 『ふーん』
その後、Aさんは結局試験に合格することなく、試験勉強をあきらめてしまいました。
なぜAさんはうまくいかなかったのでしょうか。
今、やらなければいけなかったことをやらなかったからです
人は、つらいのが基本いやなので、できれば楽に楽に生きたいものです。
しかし、目の前に試練という壁が立ちふさがったときに、どういう行動をするかで、その人の人生は変わってくるものだと思います。
私も、基本ぐうたらな性格なので、お尻に火がつかないと行動に移さないことがあります(本当は直したいと思っています・・・)が、ここぞというときは、どんなことがあってもやり切っていました。
そうでないと、後で絶対後悔すると思ったからです。
『やらないで後悔するなら、やって後悔する。』
は仕事や勉強の時にいつも思っていることです。
私は、すべての人に平等に試練という壁が設定されていると思います。
そして、それを乗り越えるか、乗り越えなかったかで人生が分岐するのではないかと思っています。
壁を乗り越えずに脇道や回り道をするほうが、その時は楽です。
しかも、その瞬間では乗り越えた人と、乗り越えなかった人にはそれほど目に見える差はありません。
しかし、それを積み重ねることにより、気が付いたときには雲泥の差が出来ています。
こうなってしまってはもう、追いつくことさえできなくなってしまいます。
これを追いつくには相当な覚悟が必要です。何かを犠牲にしないと難しいかもしれません。
そうならならないためにも、こつこつと試練を乗り越えなければならないですね。
それでは また。
年初めに思ったこと【原理原則の大切さを考える】
みなさんこんにちは
毎日寒い日が続いていますねー
私は冬でも毛布1枚と布団で寝ているのですが、やはり、冷えるときは冷えますね
そんな時いつもお世話になっているのが、猫!です
猫も寒いんでしょうね
夜中に布団に入ってくるんです
これがものすごく温かい
猫は人間より若干体温が高いため、湯たんぽ替わりには最高です
猫のお気に入りの場所は左わきの下みたいです
何かに挟まれていたいみたいで、腕にすぽっと挟まって寝ています
うーん快適
さて今回は、仕事で大切に思っていることをお話ししたいと思います。
今回お話しする内容は仕事だけではなくすべてに当てはまることだと思います。
その内容とは、『原理原則に基づく』です。
わかりやすく言いますと、『当たり前のことを当たり前にやる』ということです。
よく『経営でうまくいくためにはどうしたらいいのか』という話をする機会があるのですが、私は第一にこのお話をさせていただいています。
この『当たり前のことを当たり前にやる』とはどういうことかといいますと、
①会社のルールを作り、守る
②公私混同しない
など、『そりゃそうだ』という、基本的なことを指します。
が、これがなかなかすべて行うことは実は難しかったりするものです。
まして、経営者や意思決定の権限があるとどうしても、無意識に自分本位になってしまうものです。
例えば、『朝礼に社員全員が参加する』という会社のルールがあるとします。
通常の社員が朝礼に出なければ叱責されます。
でも、社長が参加しないことはよくあると思います。
さらに、社長は叱責されませんから、許されているように見えます。
しかし、それでいいのでしょうか?
『朝礼に社員全員が参加する』ことは、社長が最終的に決めたことだと思います。
それを自分が守らないのは、本来ならば許してはいけないものです。
こういったことが積み重なることで、『どうせ、社長が守らないのにどうして自分たちがやらなきゃならいの?』という気持ちになっていくんですね。
それが続くと、会社内のルールがあってもないような状態になってしまいます。
こうなる前に対応しなくてはなりません。
本屋さんなどで、経営の本や成功者の本などいくつも並んでいると思います。
私も読んでいますが、中には凄く崇高なことが書かれていたり、哲学的なものがあったりします。
でも、実際にはそのようなことを実行することはなく、『当たり前のことを当たり前に』を意識して事に当たれば、だいたいのことはうまくいきます。
うまくいかなかったときに思い返してみると、原因はやるべきことをやっていないことがほとんどです。
難しく考えずに、『当たり前のことを当たり前にやる』を心がけて行動してみてください。
きっとうまくいきます。
自分も、年初めに気を引き締めてもう一度初心に帰ってこの気持ちをもって仕事に励んでいこうと思います。
それではまた!